line & colors
川内理香子 個展
川内は食への関心や身体への違和感を起点とし、身体と精神、もしくは自然と思考の相互関係の不明瞭さを主軸に、ドローイングやペインティングをはじめ、針金やゴムチューブ、樹脂やネオン管など、多岐にわたるメディアを横断しながら作品を制作しています。なかでも油彩作品では、油彩絵具を厚く塗り、その上からペインティングナイフの先端で絵具を削るように線を描く独特の手法が用いられています。本展で展示される12点の新作油彩作品には、レヴィ=ストロースの神話分析から着想を得た動物や植物のモチーフと人体や人間の頭部が混然と配置されており、川内独特の身体観や生命観が感じられます。
本展は、弊社代表の南條史生による企画展シリーズ「NANJO SELECTION」の第1弾として開催いたします。
筆勢の美学と精神
(1)
川内理香子の作品を最初に見たときに感じたのは、その自由奔放な筆の動きと、なまめかしい色彩のダイナミックな広がりである。色彩は多くの場合、赤系列の色が用いられる。それが厚塗りの白と混ざりあって分厚い層をなし、筆の動きに引きずられてキャンバスを覆う。赤は、血を連想させることによって、作品のイメージが人間の体内とつながっているのではないかという連想を誘う。一方でその描線は地とは無関係に奔放にイメージを生み出すので、そこに色と線の乖離が生じている。線が平面から乖離することで、主題の軽快さを生み出しているのではないか。地となっている色は、線の描く主題に応じて選ばれているわけではない。また描線のイメージの中を、独立した事物として別の色が埋めることもない。厚塗りの地が持つ絵の具の素材感、重厚感、それらがすでに抽象画として十分に成立している。それが川内の作品の強い存在感を支えている。
シリーズによっては緑のトーンを持つものもある。緑は植物、自然、屋外を感じさせて、新鮮である。今回の出展作「SINGING IN THE RAIN」は、緑の木々の上に円弧を描く虹を描いている。この虹は華やかな七色の展開を持たない、単なる線で描かれている。しかし積層する白が雲の重なり合いを暗示して、虹という主題を十分に感じさせるのではないか。緑がもたらす清涼感は、赤に支配された作品群とはまた違う魅力を持っている。それは深さと不可解さを主題にしている。
川内の作品には実際どの絵にも、色彩のドラスティックな対比が見て取れる。多くの場合中央の地の周辺部に、より強い色、たとえば暗い紫、青、緑色などが、塗り残しのような案配で下からはみ出すように見え隠れする。この偶然のように残された暗く重い色彩が、画面全体に強いコントラストを生み出している。そこに単調さを打ち破るある種の色彩の遠近法が埋め込まれているのではないか。このように多彩な色層のコントロールの妙味を見ると、川内の表現の本質は色にあるのではないかと思わせられる。
(2)
一方で描線を作る手の動きは繊細である。たった一度の手の動きで、その主題の外形を描ききっている。それはまだ乾ききらない絵の具の上から、ペインティングナイフによって掻き取られた凹面の線からなっている。線は絵の具をかき分けて走る傷のようなものだからそれ自体の色はない。地としてもともと存在していた絵の具の色がそのまま線の色になっている。ひっかき傷のような線を下から支えるのは、重層的で幅広のストロークが生み出す地の部分だ。よく見ればここにも幅広い、勢いのある描画の動きが見て取れて、実は細い描線と同様に、絵の中に、様々な方向性とダイナミズムを生み出している。
線が描くのはプロフィル、すなわち輪郭線だ。輪郭線だけで事物の姿を描き出すのは容易ではない。しかし川内は、それを天性の技として、臆せずにのびのびと描く。その筆の勢いは下地の激しい色彩の動きと呼応している。この二種類の筆のジェスチャーが同じ方向を指向しているからこそ、そこに地と絵とのマッチングが生じる。描線が、人、動物、植物、オブジェ等もろもろの一瞬の形を捉えて、記録する。その背後には心底から湧き上がる情熱と、自然に体得した表現行為への確信がほとばしり出る。
過去の作品を見ると、多様な線描の試みが見て取れる。針金が自由な筆跡のように曲線を描き、それが白い平面の上に固定されている。あるいはネオン管が線を描いている。台座の上に作られた奥行きのある針金はもう彫刻に転化している。これらの作品はいずれも、線描に対するこだわり、線描の深化、線描に対する表現意欲が多様な形で結晶した物だ。こうした経緯を見ると、川内の作品の本質は線描にあるのかと思わせられる。
(3)
川内作品の主題にはしばしば人間の顔が登場する。顔は少しばかり外国人の男のように見えるが、モデルがあるわけでもないらしい。川内はそれが彼女の内面にいるもう一人の彼女自身だと感じている。人体、顔、手足はすなわち彼女の内側からあふれ出る彼女自身の自画像なのだ。もっとも最近ではそこに他者の存在も感じ始めているという。それは彼女の視野が広がり始めているということだろうか。
顔や身体のように外から見えるものだけではない。多くの絵画に内臓が登場している。それは心臓、骨盤、肺などといった大きな臓器の切り出されたイメージだ。自分に対する興味から発して、自分の内蔵、そこから生きている人間の物理的存在、さらには生の現実に対する飽きることのない関心へ向かうのだろう。
多様な動物や植物も登場する。豹、虎、蛇、オウムやインコなどである。しかしそれらの生物たちも、また彼女のイマジネーションから来たもので、現実に目の前の動物を写生したものではない。それらのイメージがなぜか、かわいらしく、魅力的に見えるのは、その線のたよりなく、的確な表現力の故だろうか。それとも赤系統の色彩のもたらすポジティブな効果だろうか。何が描かれていても、なぜか彼女の作品には人を元気にさせるところがある。それは川内自身が、基本的に生きることにたいしてポジティブだからだろう。
2メートルを超えるキャンバスの大型作品は、観客を包み込む。観客はまるで演劇の舞台に入り込んだように、色の氾濫の中に飲み込まれる。周囲は洪水のように赤、白、ピンクの色が取り囲む。そこに、人の姿が、動物が、登場する。するとそれは観客とともにある。そこでは絵画は正しくあるのでなく、「破」を見せている。規則に従うのではなく、自由に生きることが体現される。叫びに近いダイナミズムが人の心を捉えるのだ。
今回の展示の中で最大の作品は、「heart and heads」である。この作品は基本的に赤から深い紫に彩られているが、その絵の具の動きには白が大量に埋め込まれている。重ねられた筆の跡は、赤や紫を引きずりながら、白と混ざり合う。白は時にはかすれて、ムラを描き、時には紫と混じり合ってピンクに偏る。その中に、荒い描線が、人の顔を描き出す。人の顔は写実ではない、心象風景の中の顔なのだ。
(4)
しばしば線は思考であり、色は感情であると言われる。別な解釈をすると線は精神であり、色は肉体である、とも言えるだろう。精神と肉体の二元論を唱えたのはデカルトだったが、そこではこの二つは分断されていた。「我思う故に我あり」は、人間が思考や精神としての存在であることを主張した。一方、物質は空間の延長として議論され、精神とは分離された。私は川内の作品に、この二者の間の緊張を感じとる。線と色は互いの役割を持って画面を埋める。それは精神と肉体の対立と協働のように見える。それが止揚されて作品の総体に昇華する。
その結果、川内の作品には精神の自由、解放、自身の存在への洞察と関心、外に広がる世界への恐れと愛を読み取ることができる。イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンは、「異質な他者とともにあることを、喜びと感じることが愛である」という意味の文章を記している。川内の作品のダイナミズムは対立と矛盾を抱擁し、包含することに由来する「愛」から生じているのではないだろうか。
南條史生
開催概要
展覧会名: 川内理香子 "line & colors"
会期:2023年3月25日(土)―4月27日(木) 12:00-17:00 (日)(月)休
会場:N&A Art SITE(東京都目黒区上目黒1-11-6 / 東急東横線中目黒駅より徒歩5分)
主催:エヌ・アンド・エー株式会社
協力:WAITINGROOM
川内理香子について
「しばしば線は思考であり、色は感情であると言われる。別な解釈をすると線は精神であり、色は肉体である、とも言えるだろう。(中略)私は川内の作品に、この二者の間の緊張を感じとる。線と色は互いの役割を持って画面を埋める。それは精神と肉体の対立と協働のように見える。それが止揚されて作品の総体に昇華する。
その結果、川内の作品には精神の自由、解放、自身の存在への洞察と関心、外に広がる世界への恐れと愛を読み取ることができる。イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンは、『異質な他者とともにあることを、喜びと感じることが愛である』という意味の文章を記している。川内の作品のダイナミズムは対立と矛盾を抱擁し、包含することに由来する『愛』から生じているのではないだろうか。」
—『川内理香子 “line & colors”』図録(2023年発行)より抜粋
南條史生
Artist Profile
川内 理香子 /
Rikako Kawauchi
11990 年東京都生まれ。
2017 年多摩美術大学大学院・美術学部・絵画学科・油画専攻修了。東京を拠点に活動。多摩美術大学在学中の2014年に参加した公募グループ展『CAF ART AWARD 2014』で保坂健二朗賞を受賞、15年に新進アーティストを対象にした公募プログラム『shiseido art egg』に入選し資生堂ギャラリーで個展を開催、shiseido art egg賞も受賞。22年には『VOCA展2022 現代美術の展望─新しい平面の作家たち─』にて大賞のVOCA賞を受賞、同年ドイツのVAN DER GRINTEN GALERIEにてヨーロッパ圏での初めての個展を開催するなど、近年、国内外から注目を集める気鋭のアーティストである。